フットサルのキックオフまで残り2時間。
楽しみだ。

私には、今年85になる母方の御祖父さんがいる。
農業一本で、3人の子供を育てたじいちゃんで、
みかん、米その他の野菜を作ったりしていて、
私が、子供の頃は、50,60歳とは思えない体つきをしていた。

昨年の1月に、じいちゃんは、心筋梗塞で倒れた。
その時は、私の両親とは別居だったので、
夜勤明けの父が朝方、居間で倒れているじいちゃんを
見つけることが30分ほど遅れていたら、手遅れになっていたそうだ。

今は、元気になって、両親と一緒に同居しており、
日課である犬の散歩で朝夕30分ずつ程、家の近所を歩いている。

視力が落ちて、身体障害者の書面の手続きを申請しに市役所に
付き添いで行ってきた。1ヶ月ほどで申請が通れば、
障害者の認定をされるらしい。

私は、法律をかじる仕事を将来希望している。
試験勉強でちょろっと民法などを勉強したりするのだが、
どうしても気になることがあったので、じいちゃんに尋ねてみた。

「突然やけど、じいちゃん遺言て書いとるん?」
耳も若干遠いじいちゃんだが、聞こえなかったんじゃなくて、
突然何を聞いてくるのかという驚きの表情であった。

確かにどんな尋ね方をしても驚くに違いない。
遺言なんてものは、誰かに勧められて書くものでもないし、
あるかどうかも聴くなんて事は、倫理の問題にもつながるだろうし。

私が気になったのは、じいちゃんが視力である。
眼科に行く時でさえ、受付で自分の名前を書くことも出来ないようだ。
当然自分で遺書を書くことも出来ないのではないかと考えたのだ。

『今まで遺言の事なんか考えたことないのう。』
質問に答えてはくれたが、聞いてしまったことについて、
やっぱりいい思いはしなかっただろうな。
「死んだ後のこと考えてんのか?」とか
「財産はどうやって分けるつもりなのか?」等と、
暗に問い質しているようなものだ。

遺言というものは、いろいろな方法があるが、
一般的な自書による遺言の方式には、うちのじいちゃんには
そぐわない。直筆でないと効果が無いからだ。
代筆は認められいないので、じいちゃんの場合は、
近い親族でない他人に頼まなくては、自分の遺志を法的には
残すことは難しい。

うちの財産が、どれだけあるのか私も把握しているわけではないが、
おそらく宝くじが当たったりするような額ではないと思う。
そういうこともあって、現在の比較的良好な健康状態を考えると、
これまで自分が亡くなった後のことをそう重く
考えることはなかったようである。

話の最後に、じいちゃんは、
『これからそういうことも考えてみようかの。』
とポツリとつぶやいたのだが、
私の胸には痞えが残った状態になった。
じいちゃん本人の考えをよく知ろうともせず、
単に目が見えないことから、余計な事を聞いてしまったのではないかと、
自責と背徳の念が圧し掛かってくる。
人の生き死に関わることに対して、たとえ孫でも軽々に
首を突っ込む話では、もちろんないのだ。
聞かなければよかったと後悔もある。

相続に関わると親族内の関係がこじれるとはよく聞くが、
確かにうちの親戚は、どうしようもないほど生活に困っている
人間がいるわけでもないが、目を見張るような豪華な暮らしを
しているものがいるわけでもない。
だが、そんなにしょっちゅう連絡を取っているようでもないし、
じいちゃんが亡くなってしまった後、変によじれたりするんではないかという
ような一抹の不安から、聞いてしまった訳である。
やはり当事者でない私が、詮索する話ではなかったと思う。

いずれ他人のこういった類の話に、首を突っ込む事を
生業として生活して行こうと考えているのだが、
紙の上に書いている条文と周りの環境から生じる矛盾に対して、
私は、正常な判断をすることができるのだろうか?
なんとも不安というか、やり切れない気持ちが出てきてしまう。
 

コメント